1981年 2月 | 大阪で 産声を上げる |
幼少期 滋賀県大津の山の中で過ごす。この頃の趣味は山の探検と穴掘り。 穴を掘っている時は いつマグマや恐竜の骨が出てくるのかワクワクして掘っていたけど 多分 常に50cm位で硬い層に当たり また他を掘り出す事の繰り返しだった。 |
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1987年 3月 | 家族で滋賀県大津市から神奈川県横浜市に引越 |
それまで関西弁が唯一の言語だと思っていたのに 関東弁に出会い それがどちらかと言えばこの国での主要言語だという事を知る。人生初のカルチャーショック。 | |
1995年 8月 | 中学1年の時の担任が 『休みになると自転車で旅行している』と言う話に感化され 中学2年の夏 1週間かけて 自転車で横浜~神戸(700km)を旅する。 |
1997年 8月 | 神戸行きの成功により 更なる冒険欲に火がつき 高校1年の夏休み 自転車で次は北海道を一周(1000km) |
2001年 8月 | 親父に誘われ カヌーでユーコン川(ホワイトホース~ビッグサーモン カナダ)を下る |
2002年 3月 | 東京綜合写真専門学校 卒業 |
2002年 4月 | 3年間 暗室に篭っていた反動から 外に憧れ 西表島でエコツアーガイドになる。 |
2002年 9月 | 西表島に飛びに来ていたモーターパラグライダーを見て 空を飛びたい衝動に駆られ パラグライダーインストラクターになる。 |
2005年 1月 | パラグライダーインストラクター時代に1日体験に来たおばさんに 突然『あなた オーストラリアとか合ってそうね』と言われ その瞬間 体に稲妻が走った感覚がしてオーストラリア行きを決断。そしてオーストラリアを一年間放浪する。 |
2006年 12月 | オーストラリアでウロウロしている時に知り合った17年間放浪中のフランス人にシベリア鉄道の話を聞いた事と 英語を収得したことにより自分のいる世界が一気に広がっていっている高揚感に後押しされ ユーラシア大陸の端から端まで陸続きで見てみたくなり 公共のフェリー、鉄道、バスで 日本~アフリカ大陸(スペイン領セウタ)まで旅する。 |
2007年 2月 | エトナ火山 登山(3326m イタリア) ヨーロッパ最大の活火山であることを登った後に知る。 |
2007年 11月 | シナイ山 登頂(2285m エジプト) モーゼが十戒を授かったと言われる聖なる山。 |
2008年 8月 | NGO ウジャマー・ジャパンに参加 パキスタン側カシミール地方へ |
2008年 10月 | たまたまテレビでエベレスト山を見て どうしてもこの目で世界最高峰を見てみたいと思い色々準備していたが ふたを開けてみれば なぜかバラナシ(インド)のガンジス川で沐浴からの ネパールに入りしてのアンナプルナ山系トレッキングになっていた。 |
2009年 6月 | 旅の原点に立ち戻りたく 中学時代にした自転車旅行の終了地点 神戸から 鹿児島(屋久島)(800km)を自転車で旅する。 |
2009年 8月 | NGO ウジャマー・ジャパンに再度参加 パキスタン側カシミール地方へ |
2010年 3月 | パキスタンで撮った写真が JPS展 入選 |
2010年 6月 | 同じモンゴロイドを祖先に持ちながら日本ではなく 遠方 アメリカ大陸に渡り 更に南米まで旅したモノ達の道に興味を持ち 南米最南端まで移動した先住民の最後の末裔が今も住む チリ ナバリノ島プエルト・ウィリアムスまでアメリカから陸路で旅をする。 |
2010年 11月 | ロライマ山 登頂(2810m ベネズエラ) 映画『UP (カール爺さんの空飛ぶ家)の舞台になったベネズエラ、ガイアナ、ブラジル三ヶ国に跨るテーブルマウンテン。 |
2011年 1月 | チンボラソ山 登頂(6310m エクアドル) ほぼ赤道直下にある為 地球のコアからなら約2000mもエベレストよりも高い。よって頂上は地球で一番宇宙に近い場所。 |
2012年 7月 | 前回の南米旅行でカバー仕切れなかった モンゴロイド移動ルートを見る為 自動車でバンクーバー~マッキンリ-山へ。往復(約10000km) |
2013年 5月 | DNAを調べた結果(https://genographic.nationalgeographic.com/)を元に日本からシベリアを通り ユーラシア大陸を南西に下りアフリカ中部大地溝帯までの 遠い祖先の通った道を 遠い家族に会いに行く旅に出る。 |